桜の時期の変遷

毎年この時期は桜を楽しみにしている。

 

沖縄には桜を見るって文化がなかった。

沖縄に咲くのは寒緋桜といって2月に咲く桜でかつ山にしか生えてないし花も全然ない。

 

東京に来て最初の年に初めて道一杯の桜を見て、こんなに綺麗なんだって本当に驚いた。

だから毎年この季節は家の近くの桜が見れるスポットを開拓してるし、雨の日以外は毎日散歩して見に行っている。

 

2019年から2023年までの5年間、思えば毎年住む場所が変わったから桜を見るスポットも違ったし環境も大幅に変わってきた。

 

せっかくだし各年の思い出と当時の状況を書いていこうと思う。

 

 

2019年は社会人1年目で初めて花見をした。

当時所属してた会社の花見だったから1番下っ端の僕は代々木公園にタクシーで朝4時に公園に行って30名ぐらい座れる花見の場所取りをしてた。

レジャーシートも4-5枚自腹で買ったし、クーラーボックス一杯の飲み物も持参して、本当凍えながら会社の人たちを待ってた記憶がある。

当時の日記には毎日罵声を浴びせられたとか、テキーラをボトル一気をさせられたとか、朝6時から19時まで仕事、20時から夜3時までは修行だからと社長の知り合いのバーで無給で働いて翌日仕事って毎日を送ってた記録が残っていた。笑

当時4日間沖縄から友人が泊まりに来た時があったんだけど、そいつと会ったのは4日目の夕食1時間だけってエピソードは今でもネタになっている。

 

生きているから良いけどそうじゃなかったら本当に洒落にならないエピソードが沢山あって中々な時間だったなと。

 

 

2020年は社会人2年目で立川近くの矢川に引っ越して桜を見てた。

桜が咲く1ヶ月前は本当に色んな事があった。笑

当時本当に好きだった彼女と別れて、前職の設立5周年記念の焼肉で死ぬほど詰められて(成績は目標超えてたのに、、、)その場で退職時期を迫られ来週辞めると直ぐ辞めて、仕事がなくて虎ノ門住み続けられるか分からなかったから矢川に引っ越して、転職活動スタートしてコロナが流行り始めた時期だった。

辞める直前まで毎週土日は何かしら会社の行事(剣道とか送迎の運転手とか)があって平日土日関わらず電話で呼び出しがあれば直ぐに行ってたから、本当休める日何てなかったんだけど、退職してからは急に何も無くなって人と話すことが本当に少なくなった。

 

自分の目標に近づいている所か心身も仕事の状況も明らかに悪くなっていて本当にしんどかった。

あやさん、教授が毎週土曜日に真剣に向き合ってくれなかったら、多分今はいないと思う。

助けてくれて本当にありがとう。僕も手を差し伸べられる人に。

 

 

2021年は社会人3年目で清澄白河の川沿いで桜を見てた。

今所属している会社で営業してて今年度予算達成できるかギリギリのタイミングで何とか達成してホッとしたのを覚えている。あと部署異動の申請したけど上手く行かなかった時期だった。その時に組織の意思決定に自分のキャリアが左右されてしまう自分の力の無さを痛感した。

私生活では色々あって同棲を解消する所だった。本当は去年からの1年間で仕事が自分の想定通り上手く行っていて支えられる予定だったけど、結局僕は1年でそこまで辿り着けなかった。

副業でそろそろ仕事をしてみようって話になってのはこの頃。まだ案件が1つもなくてそろそろ決まりそうだなって話してた記憶がある。

当時は貰えて1案件月5万円、最大10万円じゃない?みたいな会話をしてた記憶があるんだけど、実績が増えると僕らの想定を大幅に超える案件が増えてきた。

 

何事もやって見ないと分からないし、自分の想定通りのタイミングで人生が進むわけじゃないってわかった時期だった。

 

 

2022年は社会人4年目で木場公園で花見をしてた。

営業部のコーポレートセールスの中で1位を取ると宣言して総合売上で1位だった。そして給与は1万円しか上がらなかった。笑

当時の色んな人との会話で同じ部署の営業が20名程度?いる中で下から2番目ぐらいの給与って事は分かっていて、ぶっちゃけまあまあコスパ良い働きをしたのでは?と思ってたから、まさか1万円しか上がらなかったのは正直凄い驚いた記憶がある。

冷静になると、1年間の僕の頑張りから出た成果はあくまで会社にとってはそこまで評価対象にならない事だったと理解して、求めるものを変えようと思った時期だった。

その頃は自分の名前で仕事が出来る様になる為に、平日夜や土日は副業のプロジェクトを掛け持ちしていた。当時は4社。

全て違うプロジェクトだったから頭を捻って何とか価値を出そうと必死だったし、フィーを貰っている顧客と直接会話して期待値を超え続ける経験は何より宝になった。期待値を超えれなくて解約になった経験も自分で責任を持っているからこそ重かった。

当時の僕らとお付き合いしてくれた企業様には本当に感謝している。

 

副業の考え方を応用した結果、本業の成果向上にも繋がったんだなと思う。

 

 

2023年の今は社会人5年目で東雲の公園で桜を見ている。

新規事業を1年間やってきて、想定通り行くことの方が少なかったけど、ないものを売る経験とか、ヒアリング段階でニーズがあると思った商品がいざお金を払うとなると買ってくれない現状とか、ニーズ自体をこちらで顕在化しないと誰も買ってくれない気づきとか、買ってくれる層のエンプラ顧客だとセキュリティ基準があってプロダクトの成熟度が追いついてないケースがあるとか、本当に沢山の事があった。

けど、今は2023年3月31日までに目標としてた導入数を達成するから、一旦ホッとしていて来年度の投資フェーズではまた新しいジャッジが下ると思う。

 

僕が上の立場だったら単一プロダクトから複数プロダクトで事業の柱を複数作るフェーズの来年度だと、次のジャッジラインまで同じ人の貼り方をして検証するかな。給与がそこまで高くないジュニア人材1名人貼るだけでマネジメント工数掛からずに新規事業の検証ができて大企業の投資基準に乗るならコスパとしては中々良い。

で次のフェーズに乗ったらどかっと人を貼って売上を大きくする。多分半年ぐらいの話。

 

そして自分達のチームでは20社近いお客さんと色んな経験をしてきた。チームも15名ぐらいになってほとんど関わってない案件も増えてきた。

5/31にはチームが新しいステップに進むし良い感じ。

自分の中で大事にしたい信念も言語化されてきたし、お会いする人の層が変わって人としての深さがより重要なフェーズになってきた。

自分の足で立って分かるけど、本当にまだまだだ。

 

 

書き出してみるとたった5年間だけど本当に色んな事があった。東京って凄いな。笑

2024年のこの季節は環境と自分の立場が大幅に変化しているだろうけど、大事な事はブラさずに行きたい。